2019.7.14
「もう泣かなくともよい」



ルカによる福音書7章11~17節


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「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた」(13節)


 この「憐れに思い」と訳されている元のギリシア語は、〈腸(はらわた)がちぎれるほどの痛み・憐れみ〉を表す言葉です。元々は、腸とか肝臓、腎臓といった〈内臓〉を指す言葉から来ています。

 皆さんは、例えば試験や発表会などで、自分の出番が近づいてくると次第に心臓がドキドキしてきて、気持ちが悪くなったり、お腹が痛くなったりしたことはないでしょうか。人間の心と体とは深くつながっていて、ひどく緊張すると、気持ちが悪くなったり、体のどこかが痛くなったりします。緊張した時だけではありません。すごく悲しかったり腹が立ったりしたときや、気持ちが激しく動いたときには、体のどこかが本当に痛くなるのです。この時の主イエスも本当にお腹が痛くなって、〈腸がちぎれるほどの痛み・憐れみ〉を覚えられたのです。ですから、この「憐れに思い」という言葉を「腸がちぎれる想いに駆られ」と訳している聖書もあります。「主は彼女を見て、彼女に対して腸がちぎれる想いに駆られ…」(岩波訳)。

 主が若者を生き返らせたのは、ただ「腸がちぎれる想いに駆られ」たゆえであったということが心に残ります。6月の終わりに読んだ、この前の1~10節のところでは、異邦人である百人隊長が部下を助けに来てくれるよう主に頼み、「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(9節)と言って彼の信仰が主イエスから称賛されたという話が出てきましたが、それとは対照的に今日の話では誰かが主に若者を生き返らせるよう頼んだわけでもありませんし、また誰かの信仰が主を動かしたわけでもありません。そこにはただ、死に捕らえられ支配された人間のみじめな姿があっただけです。そして主がそのありさまをご覧になって〈腸が痛くなる〉ほど激しく心を動かされ、命を与えてくださったのです!







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