2019.7.28
「笛吹けども踊らず」



ルカによる福音書7章18~35節


音声データ
※クリックすると音が出ます



    

「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(22節)


 この22節の言葉は、単純に考えれば21節で起こっていた出来事をただ反復しているだけに思われます。しかし、深く考えると決してそうではありません。21節の出来事を引き起こした主語はすべて主イエスですが、反対に22節では主語は「目の見えない人」「足の不自由な人」「重い皮膚病を患っている人」「耳の聞こえない人」であり、「死者」でさえあり、また「貧しい人」でした。これらの人々がみんな、主の業を体験したのです。聖書が語っている救いは単なる机上の空論や、頭の中の思想・概念などではありません。主イエスがもたらした救いは、それぞれ悩みや苦しみの中にあった人々の現実となったのです。〈来りつつある方〉が今、既にここに来てくださっているという救いの出来事の中に皆が巻き込まれているのです。しかも、ここに起こっている数々の事柄は、旧約聖書においてイザヤなどの預言者が予告していた、救い主・メシアによる救いの出来事です。

 主イエスの一つ一つの言葉の中に、行為の中に、神様の愛と憐みと癒しが溢れている。まさに主の存在そのものが〈神の国〉なのです。〈神の国〉すなわち神様のご支配を、主イエスご自身が体現しておられる。〈神の国〉が動き、接近し、私たちの現実に突入してきているのです。“この新しい現実を、〈神の国〉の到来の事実をしっかりと見よ。そして、それをそのままヨハネに伝えよ”。〈来りつつある方〉は、「あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」というヨハネからの問いかけに対して主は一切、説明をなさいません。ただ〈事実〉だけを示されるのです。“この〈事実〉から、あなた自身の結論を出しなさい”と主は私たちにも言われます。では私たちは、この〈事実〉をどのように受け止めるのでしょうか?







トップページへ